OgaNote

’教育’で北海道を元気に。チャレンジする北大生のポートフォリオ。

殺して食べるということ。

皆さん、おはようございます&こんにちは&こんばんわ。

略して押忍。(略にはなってないかも…)

 

更新に少し間が空きましたね。

 

それでもなお読んでくれるあなたは程度のほどはあれ面倒見がいい方なのでしょう。(多分ね)

 

 

今回書こうと思っていることは、殺して食べるということ。

 

 

ここ、カンボジアでは肉を食べたいならスーパーに行ってパッキングされた肉を買うのではなく(まぁ首都に新しく出来たイオンならあるかもしれませんが)、市場で肉をさばいてもらうだったり、そこら辺を走っている自分の鶏を捕まえて殺すんです。

 

 

日本ではなかなか動物を自分で殺して食べるっていうことはあまりないんじゃないですかね?

(筆者の貧弱な頭で例をひねり出したら魚を殺して食べるしか出てきませんでした。他にあったら個人メールで教えて下さい。)

 

 

12月17日㈰の朝、起きたら学校で買っていた犬が老衰で死んでいました。

 

そん時、なんかふと

 

 

 

 

「死ぬ」ってなんやろなぁ。

 

 

 

 

バックパッカーにありがちな少しイタイことを考え始めました。

 

とまぁ齢21の自分は自分なりに考えて、考えて・・・

 

そのたどり着いた結論が、

 

 

 

 

「俺はまだ死にたくない。」

 

 

 

全く、答えになっていない。

己の無能ぶりにため息が出ます。涙

 

まぁ、それでもおバカはおバカなりに考えたのでしょう。

 

 

 

『自分が生きるために「生き物を殺して食べる」ということは、実際どんなことなんだろうか』と。

 

 

自分は肉を食べるため、自分の手は汚さずに他人に生き物を殺させて肉を屠る、アウトソーシング系男子なので、食べるため、生き物にとどめを刺したことがありません。※魚も殺したことがない…まあ、アリはよく面白がって踏んでいましたが╭( ・ㅂ・)و

 

 

そのときふと、

 

 

あぁ、じゃあやってみっか」と一言。

 

 

その日、鶏を殺して食べることを決めました。

 気まぐれすぎるなぁ。

 

 

鶏調達のため、知り合いの養鶏場へ行くことに。

f:id:kirin1118:20171219005403j:plain

餌に群がるひよこ達。つつかれると痛い。爪楊枝で思い切り刺されるのと同じくらい。

うわぁ、鶏がいっぱいやぁ。

 

 

 

 

f:id:kirin1118:20171219010038j:plain

生れて初めて生きた鶏を持った小川。緊張で顔がおかしい。

鶏を二羽手に入れました。

 

この世に生を受けて初めて鶏を持ったわけですが、とにかく、鶏から「生の鼓動」をビンビンに感じました。

 

「こいつを殺して食べるんかぁ…」

考えるとあんまり乗り気ではなくなりましたね。

 

 

でもそうはいってられない。



家にもどり、さっそく処理を始めることに。

f:id:kirin1118:20171219010719j:plain

作業直前の鶏の写真。

自分の死期を悟っているのか、とても静か。

 

 

 

しかし、作業をするにして自分は鶏を殺したりさばいたりすることはもちろんできないので、近くにいた19歳の男の子に教えてもらうことに。

(そこら辺にいる子供が鶏のさばき方知ってるって、日本ではまず考えられないですね)

f:id:kirin1118:20171219011113j:plain

今回教えてくれるラッキー少年。快活な笑顔が印象的。

まず、生きた状態でのど元に包丁をいれ血を抜き、殺す作業。

手慣れているラッキーは笑顔で鶏をぐさり

 

喉元から鮮血が噴き出ていました。

 

 

次は筆者の番。

f:id:kirin1118:20171219011535j:plain

喉元の毛を抜き、いよいよ包丁で刺すか、、、

 

 

f:id:kirin1118:20171219011710j:plain

と思いきや、なかなか行動に踏み切れない小川(2)

 

それでも思い切って、、、

f:id:kirin1118:20171219011849j:plain

 

喉元にぐさり

 

すると、

 

 

 

ぎゃああああああああこけぎぇえこぎぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!

 

鶏の叫び声

 

 

 

するとこちらも

 

ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、マジでむりぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!

 

筆者の叫び声

 

 

 

筆者の包丁の刃の入れ方が悪かったせいで、鶏はラクに天国は行けず、のたうち回りながら死んでいきました。ほんとに苦しそうな叫び声をあげていました。

 

f:id:kirin1118:20171219012459j:plain

無残な死に方を強いられた鶏。

 

 

 

f:id:kirin1118:20171219012743j:plain

と思ってたらまだ生きてた。死ぬに死ねない、まさに生き地獄

筆者は非常に残忍な性格のようです。

 

 

そして羽を抜く。

f:id:kirin1118:20171219013009j:plain

心なしか筆者の顔が暗い。

 

というか、完全にヤラれている

 

それほど、生き物を殺したことに動揺を隠せていないんですね。

 

 

最後に内臓の処理。

f:id:kirin1118:20171219013330j:plain

腹に包丁をいれ、

 

 

f:id:kirin1118:20171219013456j:plain

内臓をとりだす。

 

 

f:id:kirin1118:20171219013547j:plain

最後に水で洗って

 

 

 

f:id:kirin1118:20171219013640j:plain

終わった!

 

先生が処理したのは右側。

筆者が処理したのは左側。

 

もう、実力が一目瞭然。

筆者のはおいしそうじゃない…涙

 

無残な殺されかたしたニワトリにふざけんなコノヤロー!せめておいしく食べてくれバッキャローって言われそう。

 

 

このさばいたお肉はコーラ煮にしてたべました。

 

美味しかったですよ。

ただ、動揺が抑えられず気持ちがフワフワしたまま食べたので、よく覚えていません

 

 

 

なにやってんだ、おれ!号泣

 

 

 

 

 

 

 

 

生き物を殺して食べるとは何か?

 

それを知りたくて今回、鶏をさばいたわけですが、まだよく分からない。

分からなさすぎて「生き物を殺してまで自分は生きる価値があるのだろうか?」まで考えてる始末。

 

考え出したら頭がぐっちゃぐちゃになりました。

 

 

 

 

そして結局たどり着いた結論は、

 

 

 

「生きるためには仕方ないよね」 

 

というなんともありきたりな、平凡すぎる解答。

でも、結局そういうことだからみんなこうやって言うのだと思います。

 

 

この作業を終えて、今一番強く感じていることは、

 

 

「日本ではどんどん家の機能が外部化しているんだなぁ」ということ。

 

 

これは自分の言葉ではなく、受験時代の表論文で知った言葉なのですが、

家から「介護」だったり、「食事」だったり、いろんなものが外の機能として分離している。それがいいことか悪いことかは一概には言えないけれど、鶏を自分で殺して自分で調理して食べたことで、この「外部化」っていう言葉が妙に自分の中でしっくりきました。

 

やっぱ、知ってるだけでは本当には分からんのやな。

そんなことを感じました。

 

そして、その食事の外部化に日本人は 気づくべきだなと強く思いました。

その理由をうまく言語化できない自分が腹立たしい。

まぁ直感ですね。(笑)

 

 

日本ではあんまりできないことを思いつきでできてしまうカンボジアはなかなか興味深いところです。

 

今回は少し長くなりましたね。

読んでくれてありがとうございました。

もしよければまた読んでいただけたら幸いです。

それでは、また明日。(明日かどうかは分からないですね笑)

 

~今日の一枚~

f:id:kirin1118:20171219020420j:plain

調理中の小川(2)

割烹着はやはり便利。

案外似合っていると思うのは自分だけ?

 

 

文責:次は豚かな小川(2)