さよなら。青春。
【4分で読めます。】20190805
小川凜、22歳と9か月。
人生で最大の失恋をしました。
自分の整理のため、心の奥底に潜むもう一人の自分と対話をし、自己開示に臨んでみる。
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出会いは、2018年12月。
友達に誘われた学生のイベントで出会う。
そこで彼女に出会い、声と笑い声で一目ぼれ。
雷が身体にずどーん。
天使たちが何かわからないダンスをして、
神様が自分に「小川さん、この人、運命の人ですよ。」って叫んでた。
ここで連絡先聞かないと、もう一生会えない。
奥手な自分には考えられない行動。
「今度、編み物しませんか?」
そこから、連絡を取って編み物をしたりした。
編み物は小川の根気不足ですぐに終わっちゃったけれど、お互いに料理やご飯が好きということで、ご飯を作ったり、食べに行ったりする関係に。
とっても、楽しかった。
不定期ではあったけれど、その方のお家でご飯を食べたり、作ったり。
彼女の友達と一緒にドライブしたりと、小川の歴史上、最も輝いていた毎日だった。
ただ、その方は今年の九月に就職で愛媛に行ってしまうことを知った6月ころから、小川はおかしくなり始めた。
「えぇ、離れたくない。」
「ずっと一緒にいたい。」
「自分も愛媛に行こうかな。。。」
やることなすこと、手につかない。
その方と遊ぶ時も、なんか、ちぐはぐになってしまう。
なんか、いろいろと考えすぎて、「嫌われたくない」とか思ったのか、自己主張はあまりしなくなり、相手に合わせる蝋人形みたいな感じになってた。
相手も、つまんなそうにしているの、気づいていたのに、
相手に嫌われたくなくて、失敗したくなくて、相手に合わせ続けた。
合わせ続けたっていうよりは、自分を殺していた。
(もっと厳密にいうと、自分の存在意義が彼女のそばにいることだと勘違い→自分がわかんなくなっただけなのかも)
そして、今日。
札幌を離れる前にけじめとして、彼女に気持ちを伝えた。
結果は、、、、そういうことです。
どれだけ、その人の事を思っていても、双方向でないと、意味がない。
この世には、どれだけの思いがあっても、不可能なことはある。
そう、痛感しました。
心の傷(?)は時間が解決してくれるものとよく言います。
本当かな?わかんない。でも、悔やんでても、仕方ない。
そんなとき、自分の大好きなasian kang-fu generationsの『ソラニン』のサビを思い出した。
たとえば、ゆるい幸せがダラっと続いたとする
きっと悪い種が目を出して
もうさよならなんだ
さよならそれもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ
この歌詞がこんなにも胸に刺さるとは。
彼女との日々は、とても平凡でそこらへんにありふれたような’ゆるい幸せ’だった。
でもそれはもう終わり。
「喪失と決別」
その先に、何があるのか。
そんなのわかんない。でももうサヨナラの時。
さよならそれもいいさ。
どこかで元気でやれよ。
僕もどーにかやるさ。
さよなら、そうするよ。
さよなら、俺の青春。
文責:さよなら小川凜(4)