「ありがとう」~って伝ぁえたぁくて~。
「どうもご無沙汰してます。」
を初対面の人に使って
「あれ、私、あなたとどこかで会いましたか?」
「いえ、これが初めてです。」
「・・・」
という誤用をたびたびしてしまう筆者です。
数日間ほど間が空きましたね。
その間に世間ではなんとイブはおろかクリスマスも過ぎ去ってしまいました。
なんとも、師走は名前の通り(?)慌ただしいですね。
今回、書こうと思っているのは「筆者のクリスマス」です。
え、興味がない?
そんなこと言わないでくださいな。
今年のクリスマスは「生まれて初めての経験」をしっぱなしでした。
※本当に「生まれて初めて」が満ち溢れていました。
今回書くことは多分、自分の筆舌では言い表すことはほぼ不可能だと思っています。
そのことについて、頑張って書いてみます。
今回もお付き合いいただけたら幸いです。
12月25日㈪
午前11時。
僕は校庭にいた。
なんてことない、普段と何も変らぬ校庭。
そこに見慣れない荷台付きバイクが一台ある。
そこの荷台にはなんと・・・・
豚さん(約70キログラム)が苦しそうに佇んでいました。
なぜ、こんなことになったんだろう・・・。
さかのぼること1週間。
僕は生まれて初めて、自分が生きるために生き物を殺しました。
※以下参照
しかし、気が動転してしまって、その時のことをよく覚えていません。
「生きるために殺すということは仕方ない。」
その時はそのように結論を下しましたが、本当にそうだったのだろうか?
ふと疑問に思いました。
そうか、もう一度自分の手で確かめる必要がある。
もうすぐ12月25日。世間でいうクリスマスというやつ。
その時、筆者はあることを思いつく。
「そうだ、次は七面鳥にしてみるか」と。
しかし、重大な事実にすぐに気が付く。
じゃあ、どうしようかな。
また鶏もありだけれど、せっかくなら違うことしてみたいしなぁ…。
と悩み、お世話になっている一二三先生に相談いたしました。
「先生、この前の鶏みたいに、何かを殺して食べる経験がしたいんですが、何がいいと思いますか?」
「そうですねぇ~。豚とかいいんじゃないですか?
ちょうどクリスマスだしみんなでパーティーでもしましょう。」
という感じで
今に至ります。
今はこうして縛られておとなしくなっていますが、
養豚場で豚をしばるときの叫び声は、筆者の語彙力では表せない。
まさに獣の咆哮。
生れてはじめて聞きました。
そして、今から自分は生きるためにこいつを殺して食べる。
今から自分はこいつの命を奪う。
この前は、「ウワァァァぁっ」と気が動転して気づいたら殺していた。
でも今回は違いました。
養豚場でこいつと出会った時から、「殺して食べる」ということを考えていました。
だから、こいつの命を奪うためのナイフを手に取った時も落ち着いて、正面から向き合うことが出来ました。
身体を縛られ、口も縛られ、苦しんでいる豚。
生きようと必死にもがいている豚。
「つらいよナァ。苦しいよナァ。」
「すぐに楽にしてやるからな。」
ナイフを手に持ち、まさに豚の喉元に刃を突き立てようとしたその時、
ごく自然に(本当に無意識のうちに)
「ありがとう。」
ってコトバが口から零れ落ちました。
自分でもびっくりしました。
殺して食べるということは依然としてよくわからない、頭がごちゃごちゃする理解しがたいものだけれど、
こういう場面において「ありがとう。いただきます。」っていうコトバは自分の中で非常に、非常に腑に落ちた。
自分の気持ちの変遷をかいてみると、
こいつを殺して食べる。
自分はそいつの命を奪った。
そいつの人生を頂いた。
だからそいつの分まで生きる義務がある。
でもおれはこいつを殺してまで生きる価値があるのか?
わからない。それでも自分は生き延びて何かを大成したい。
そのためには食べるために殺さなきゃならない。
そんなふがいない俺のために死んでくれてありがとう。
本当にありがとうしかでてこない。
みたいな感じ?
ああ、うまく言語化できないのが歯がゆい。
そして、心で感謝を唱えながら豚の首元にナイフの刃を突き刺す。
感覚は「人を刺している感じ」※刺したことないけど。
生きている肉塊を刺している。
ナイフから心臓の鼓動が聞こえてくる。
動脈を切ったのだろうか、蛇口の水のように自分が開けた穴から鮮血が噴出してきた。
その瞬間、豚が痙攣。命が今にも消える音がした。
そのとき、あろうことか「殺す」ということが分かっていたにも拘らず、「怖さ」に体が支配されて動けなくなってしまった。
結局、自分の手の震えは止まらず、自分の手でとどめを刺してあげることが出来なかった。
その分、豚に苦しい思いをさせてしまった。
そして、豚は死んだ。
そっからはもう吹っ切れて「美味しく食べてやるから心配すんなよ」としか考えなかった。
熱湯をかけ、豚の皮を剥ぐ。
これがまた力が必要で、ナイフの刃を立てて皮をこすり落としていく。
皮をはがし終えて、内臓を処理し、頭を落とす。
その頭は丸焼きに。
そして胴体は
もちろん丸焼き。
炭火で5時間じっくり焼き上げました。
そして、クリスマスパーティー。
何人ぐらい来たんだろう。数えられんかった。
みんな、飲んだり食べたり歌ったり。。。。。
思い思いに過ごしていました。
そんなみんなから
「おい、リン! ブタめちゃくちゃ美味いなっ!!」
「すげえよこれ!旨いって!!!」
と沢山声をかけてもらいました。
素直にうれしかったです。
今回、このような経験をして一番思ったことは
「ありがとう、頂きます。」という言葉の神秘でしょうか。
うまく言語化できないので少ししか書けませんが、
「生き物を殺して食べるとき、その殺したものに対してかける最も適切な言葉は何かといわれたら『ありがとう。頂きます。』だと確信しました。」
これはもう自分の言葉では表すことが出来ません。
読んでいる方、申し訳ないです。
この前にも書きましたが、
「食物連鎖の頂点に立つ我々は
『食べることは他の命を貰う(奪う)ことだ』
と知っておくべき」だと非常に感じました。
そうしたら、殺されたものはまだ「自分が殺された」ことに「納得」すると思います。
ただただ、やってよかった。
心の底からそう思えました。
最後に、いつものみんなでパシャリ。
生を強く感じた一日だった。
文責:高級ウィスキーが飲みたい小川(2)